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楽しくて、切なくて、ちょっとだけ勇気が沸く。
心に残るアニメーション映画
快活な少女・新子は、麦畑に飛び込んで、その昔あったという千年前の都や、そこに住む少女など様々な空想をすることが大好き。
ある日、クラスになじめずにいる転校生・貴伊子を麦畑に連れ出す新子だったが――。

芥川賞作家・髙樹のぶ子の原作小説を、『魔女の宅急便』(演出補)『アリーテ姫』の片渕須直監督と『時をかける少女』などで国際的にも評価の高い制作スタジオ・マッドハウスが圧倒的なクオリティに仕上げたアニメーション映画――それが『マイマイ新子と千年の魔法』だ。

髙樹さんが「自宅に立った、360度の風景が忠実に再現されている」と絶賛するほど、リアルに再現された昭和30年の防府市の風景。そして、千年前の防府市の様子も本作ではリアルに描き出されている。
みずみずしい感性でつづられる映像とストーリーは、今の子供たちだけではなく、かつて子どもだったすべての大人たちに向けたメッセージなのだ。
プレセペ誌上対談:千年前の世界をリアルに描いた理由
かたぶち すなお
片渕 須直
1960年大阪生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。宮崎駿監督が参加した日伊合作のテレビアニメーションシリーズ「名探偵ホームズ」で、脚本、演出補を担当。1989年宮崎駿監督作品『魔女の宅急便』でも演出補を務める。1996年世界名作劇場の「名犬ラッシー」では監督としてシリーズをまとめあげた。
2001年劇場アニメ作品『アリーテ姫』では監督・脚本を手掛け、また同年にゲーム作品「エースコンバット04 シャッタードスカイ」に演出・脚本として参加した。2006年のテレビアニメシリーズ「BLACK LAGOON」で監督・シリーズ構成・脚本を担当。他にも数々のアニメーション作品でその手腕を発揮、高い評価を得ている。
『マイマイ新子と千年の魔法』では監督・脚本を担当。
いよいよ、全国公開がスタートした『マイマイ新子と千年の魔法』だが、12月6日に開催される「文学フリマ」にてイベントが開催される。
タイトルは『監督・片渕須直が語る 文学をアニメ化するということ』。ライター・小川びい氏と片渕須直監督が登壇し、文学とアニメのつながりについて対談を行う。

このイベントに先立ち、プレセペでの誌上対談が実現。
千年前の世界をいかにして作品内に取り込んだかについて、語っていただいた。


■ 千年前も30年前も、そして現代もつながっている ■

小川びいさん(以下 小川):映画の中で千年前の出来事と、昭和30年の出来事を等価に描いていくために、色々なことを詰め込んでいくという作業があったと思うのですが、その時に、現代に生きている片渕さんというのはどういう立ち位置にいるんでしょうか?

片渕須直監督(以下 片渕):それについては、廣田恵介さんのブログの12月22日の記事がすごく的を射てるんじゃないか、と。彼には何も説明していないのに、僕が内心想定していたことを映像からほぼそのまま読み取って、ブログに書いてました。
「千年前の世界があり、昭和30年の世界がある。昭和42年生まれの僕達の世界もあるはず――それが地層のように重なっていて、しかも同時に存在しているはずだ、と。それなら、子どもの頃の僕達が走り回っている世界もまだどこかにあるはずだ」と。
実は当初、エンディングをそんなイメージにしようと考えていたんですよ。2009年の防府に各時代の子供達が一斉に走り回っていて、その中には新子や貴伊子もいれば、500年前ぐらいの子もいるし、諾子(なぎこ)もいて、現代の子はそれをぽかん、と見ている。そういう画面を作ろうとしたんですが、結果的には「友情」に置く重心が大きくなって、今みたいな形に結実していきました。でも、自分の心の中にしかなかったはずのその画面をまさに廣田さんが書いていて、とても気持ちよかったんです。タツヨシの父も子どもの姿でその中を走っていていいし、貴伊子のお母さんも子どもとして走っていていい。そして、子どもの時代の僕達も、同じように走っていていいんだろうな、と。そんなさんざめきみたいなものを、僕らは聞いていればいいんだろうな、という気持ちです。

小川:ただ、片渕さんは現時点では立派な大人ですよね。とすると、その子ども達とはどういう関係なんでしょう?

片渕:大人になってから味わう挫折感とかが関係してくるんですが、もう一度明日を歩み直すために自分の原点がどこにあるかを思い出すための子ども時代。「子どもであった頃の自分をいかに愛しいと思えるか」ということだと思うんですよ。原点に回帰するのだけれど、現実逃避ではない。それが、今を生きる我々にとって大事だな、と思います。そういう解釈にたどり着いてくれる人が出てきてありがたいな、と思っています。

小川:片渕さんは人の親でもあるので、そうした目線で作っているかと思っていたんですが、今の話を聞くちょっと違いますよね。

片渕:そうなんですよ。我々自身が子どもであったことを思い出すということが、まず大事で。この映画のCMで「映画を見ていた子どもが、隣の席で泣いている親を振り返る」というものを宣伝チームが作ってきたんですが、親の方がまず子どもになれ、ということでは「その通りだな」と思ったんですよ。


■ 千年前も人間の本質は変わらない ■

小川:昭和30年の世界は、生きている人もたくさんいらっしゃるし、原作者(髙樹のぶ子さん)の自伝的な要素もあるので、リアルに描くということを一つの目標にしているということはわかるんですが、千年前を描くときに、それと等価なリアリティをもって描かなくては、とは最初から考えていたんですか?

片渕:描きたいな、とは思っていました。この映画に出て来る千年前の世界って、想像力が作り出したものとしてとらえてもらっても別にいいんですが、本当に存在する二つの世界がたまたま子どもの想像力が橋渡しとなって繋がってしまった、そうとらえてもらっても良いわけです。どちらかに解釈を限定しないようにしたんです。だから大変だった(笑)。千年前を昭和30年と同じリアリティの現実的なものとして描かなければならなくなっちゃったわけです。
ビジュアル的には、『伴大納言絵詞』『年中行事絵巻』などの絵巻物とか、『扇面古写経』とかの史料を見ると、当時の人間がどういうふうに振舞っていたのか、生活様式だとか、もっとごく普通の親子の心情みたいなものに至るまで、かなりリアルな形で表されてたんです。
水浴びをさせている親、仲の良い子ども達、親が髪をそいでやっている幼児が顔を一生懸命覆っていたり。髪が目に入らないように一生懸命目を瞑ってる感じですね。
そういう絵がたくさんあって、それを見ていると、生活の中での態度は今の我々とひとつも変わらないな、と思ったんです。だったら表現のしようがあるなあ、と。

小川:それは、制作のいつごろの時点でお考えになったんですか?

片渕:かなり初期の段階ですね、シナリオと平行して考えていたので。シナリオで着目していたのは、昭和30年前の髙樹のぶ子さんの子ども時代に匹敵する、同じ土地にほぼ千年前に推定年齢8歳の清少納言がいた、という歴史的事実なんですね。髙樹のぶ子さんが成長して芥川賞を取ったように、千年前に同じ土地にいた少女が成長して「枕草子」を書くようになる。ああ、だったら「枕草子」を読めば、当時のディテールも書いてあるのかもね、と。
「枕草子」は何種類も買い込んでみたんですが、荻谷朴という人の注釈が読みやすくて、現代語訳がほとんどされてないのにすらすら読めるんです。適度に改行するとか、台詞はかぎカッコに入れるとか、古文を現代文の表記法に並べ変えるだけで、我々が中学・高校で苦労していた古文がこんなに読みやすくなるのか。何故このやり方が広まらないのかと思うぐらい(笑)。今の小説やエッセイを読むように、枕草子を直接読み解いていける。当時の人の気持ちのまま、今の読み方で読んでいけたんです。
そうやって読んでいくと、わりと普通のことが書いてあったのだなあと気付いたんです。たとえば、ある時思い立って清少納言と女房たちは宮中を探検しよう、と言い出して、あちこち見て回る。櫓に登らせてもらえるよ、と聞くと、普段登らせてもらえないそこにみんなで上がって、下に向かって手を振ったりする。これは普通の若い女の人たちの話だなぁ、と思うわけです。
ある時は牛車でピクニックに行くんですが、山の中に家があったので「食事を用意してください」と頼むと、野外に食卓をしつらえてくれて、「外でご飯を食べるとおいしい」と言ったり。卯の花がいっぱい咲いていて綺麗だから、「これで牛車を飾って、京に乗って帰って、みんなに見せびらかしたいよね」とか言って、みんなで一生懸命牛車を花で飾って帰ったら、雨が降ってきて大変になった、みたいなことも書いてある。この女房たちの行動様式や感性は、現代の少女っぽいというか、今の若い女性達と基本的に変わらないんだな、と思ったんですよ。千年前だからといって無理する必要はない。普通に描けばいいんだということがわかってきたんですね。
そういう風に「枕草子」を読み解いていくと、清少納言がどういう人かもだんだん分かってきて、千年前の世界が画面として生き生きすると同時に、彼女自身の人となりとか気持ちがよく理解できるようになってきた。

小川:なるほど、聞いていると、その発見や片渕さんの気持ちが、ストレートに映画の内容になっているのかもしれませんね。清少納言と髙樹のぶ子を重ねてくとうまくいきそうだ、と。これは普通に今の生活とダブらせていけるんだ、と。

片渕:たとえば、船に乗って周防に着いた時のことなんか、清少納言自身が子どもの頃に抱いただろう印象の記憶が、ほぼ書いてあるんですよ。それをそのまま画面にすればいいんだろうな、と。

小川:いや、それ普通じゃないですよ(笑)。画面にすればいけるとか、そういうことは普通の人は思っても、なかなかチャレンジしないでしょう。

片渕:そこに自信を持てるぐらいのリアリティを得たんですよ。
清少納言だけじゃなくて、その父である清原元輔も当時の有名人だったので、色々書き残されてます。
「宇治拾遺物語」に「元輔 落馬の事」という事件が描かれていて、元輔が何かを仕切っていたら途中で烏帽子が取れてしまい、あまりにツルツルのはげ頭だったので大笑いした、という話なんだけど、それをネタに取って逆に人を笑わせた、というんですね。ああ、そういう人なんだ。
また、「元輔集」という歌集を見ると、彼自身が自分の子どものことを歌に詠んでたりもします。こんな目で幼い娘である清少納言を見ていたんだろうな、と感じられるんです。
元輔が今の防府市にあたる勝間の浦というところで詠った歌に、「思ひいでよ ちとせの子の日の春ごとに 勝間の浦の 岸のひめ松」というのがあります。「ちとせ」は、本によっては「千年」と書いてあるんです。……びっくりしますよね。まだこの松が生えているだろう千年後の風景を思い浮かべようとした人が、実際に千年前にいた。しかも、それは、僕達が映画の取り上げて描こうとしていた、まさにその人なんですよ。
この偶然には驚いてしまいまして、映画の中でもこの歌はそのまま描いているんですが、たぶん、清少納言や元輔は、千年後に想像力を働かせる能力を持っていたんですね。もちろん、今のような千年後をイメージするとは思えないけれど、千年後にもこの世界はある、この松は生えている、この海岸はある、ということを彼らは想像することはできたはずだ、と。
そうしているうちに、だんだん千年前と昭和30年の世界がパラレルになっていくんですよ。

小川:映画の中では清少納言とは言及していないですよね?

片渕:ひづる先生が千年前にいた女の子の名前を新子に教えるんですが、その時に読んでいた本が、書名は見えづらいですが『清少納言伝記攷』(岸上慎二著)、という本で、実は、「清少納言の幼名が諾子である」と書いてあるのがこの本なんですよ。 それが歴史的に正しいかどうかは分からないんだけれど、この本が出された頃には諾子と呼ばれていたんだろうな、と。

小川:ああ、『清少納言伝記攷』自体が昭和30年代の本なんですね。

片渕:昭和30年当時の認識から言うと、彼女は「諾子」なんですよ。
千年前の世界のリアリティと人の心のリアリティを得て、諾子という存在の偶然があったので、あとは、彼女がどういう人だったのか、というところを深めていこう、次にはそう思ったんですね。


■ 「源氏物語」から読み解いた千年前の遊び ■

片渕:千年前の子達はどんな遊びをしていたんだろうと探っていて見つけたのが、「源氏物語の姫君 遊ぶ少女期」(中西紀子著)でした。千年前の女の子がどんな遊びをしていたかを、「源氏物語」を元に読み解こうという本です。
まず、光源氏の妻となる紫上、彼女がまだ子どもであった頃の「若紫」の巻では、「雛遊び」というエピソードが語られるんですが、「雛(ひいな)」は「枕草子」でもたびたび触れられていて、あの頃の女の子の普通の遊びだったんですね。簡単に言うと、お人形や家具があって――シルバニア・ファミリーやリカちゃん人形にドールハウスがついているものと変わらないようなものです。
若紫はその「雛遊び」で雛を「方相氏(ほうそうし)」とか「舎人(とねり)」に見立てて、追儺(ついな)の行事の鬼退治を、人形劇みたいに演じてるんですよ。
「今日はこのお人形は鬼! こっちはそれをやっつける奴の役! さぁ鬼! 覚悟しろ!」
そういうゴッコ遊びをやってるんです。ただ人形で遊ぶのではなく、人形を何かに見立てている、ということが書いてあるんです。それは、映画の中にそのまま取り入れました。

小川:紫上の子どもの頃を清少納言にあてはめたわけですね。

片渕:一方、紫式部は清少納言をライバル視していたんじゃないかと言われているんですね。ライバルというより、癇に障ったというのか、紫式部として「ちょっとあの人、どうかなぁ」と清少納言のことを思っていた節があって、あてこするために清少納言をモデルにした近江君というキャラクターを「源氏物語」の中に登場させて、あざ笑おうとしたのではないか、そんな説もあります。
源氏物語の中では、双六遊びをする近江君が、「小賽小賽」「お返しや、お返しや」などと大声ではしゃぐ。これらの台詞は、そのまま映画の中の諾子に喋らせてしまいました。大きな声でやたらと大げさに熱中しながら双六遊びに興じている女の子を、「下賎だね」という目で紫式部は見ているんだけど、我々の目から見ると「女の子だってそれぐらい元気があったほうがいいじゃないか」という風にしか見えないんですよ。紫式部としてはあげつらおうとしたんだけど、近江君の自己主張の仕方はかえって魅力的に見えるんですよ。現代に生きる僕達の目から見ると元気の良い、活発で利発な、自分を確立している女の子に見える。紫式部が描いた近江君がそのまんまリアル清少納言の姿なのだとしたら、清少納言ってある意味いい奴だな、と思ったんですよ(笑)。
父、清原元輔は、人を和ませるため、宴から宴を渡り歩いて歌を詠んだ人だった。その後、六十七歳でようやく周防守となり出世するんですが、彼は人を楽しませるために自分が存在していると規定していたんじゃないかと思います。
一方、「枕草子」を読むと、清少納言はいかに中宮定子を楽しませようかということに熱中しているように見えます。「雪がいつまで溶けずに残っているか」という賭けをして、「絶対賭けに勝ってみせる!」と子どもっぽく振舞う。楽しませようとする相手はずっと年下で深窓の令嬢。彼女をいかに和ませるかということに、自分も楽しみながら全力を尽くしているように見えるわけなんですよ。

小川:花の種を塀の屋根に植えたということもどこかに書いてあったんですか?

片渕:花山天皇という人がいて、彼は17歳で即位して、19歳で天皇の位を一条天皇に譲って法王になり、隠居させられてしまった。何があったかはよく知らないんですが、19歳で屋敷に押し込められた彼は、築地塀の上に種を撒いて、なでしこの花を育て始めるんですよ。これは諾子が大人になった後のことなので、映画でやってるのとは年代的にちょっとずれるんですが、実際にあったことには間違いないんですね。
ここまで話してきて分かると思うんですが、映画の中の千年前の出来事というのは全て歴史的事実か千年前の創作物からの引用で、どれも僕の創作ではないんです。それを映画を見た人に読み解け、ということではもちろんないんですが、映画の中の諾子は突飛なこともやってるけど、大丈夫、千年前に本当にそんな突飛なことをやった人がいたんだから。原作者がモデルである昭和30年ごろの子どもがある意味実在していたといえるように、千年前の子どもも同じようにリアルに存在してたんだよ、と自分で納得したかったのかもしれない。諾子のことを実在可能な存在として、僕は見ようとしたんです。
そういう尺度で彼女を見るのが、千年前と昭和30年を同じレベルで描く、ということなのだろうと思ったんですね。最終的には。
ということで、諾子の行動様式、そして奇想天外な行動を取るというところまで読めてきたので、髙樹のぶ子さんに、「こういう人間は原作には出ていないんですが、(映画で)付け足したいんです」と諾子の性格を説明しました。そしたら「新子ちゃんそのままじゃん」と言う答えが返ってきました。
我々が描くべきことは「いかに人の顔に笑いを取り戻すかに一生懸命になる少女が、昭和30年にも、千年前にも、同じ防府の地にいた」ということで、ここにテーマは一貫したんですね。しかも原作者認定のもとに(笑)。

小川:「マイマイ新子」という原作があって、それに片渕さんのアイデアである清少納言をモデルにしたキャラクターが加わって、このふたつが平行して描かれていくというのが、この映画の骨格ですよね。いくつかの暗合をみつけて、重なるんだという発見というか確信が、映画にそのまま表れてるということなんですね。


■ 貴伊子は何故、諾子に重なったのか ■

小川:今のお話を聞いて、諾子が新子である、という映画的な構造は分かるんです。ただ、これはネタばらしになるかもしれませんが、最終的に貴伊子が諾子に重なるという展開になりますよね。それは何故なんですか?

片渕:「光抱く友よ」という、もう一つの髙樹のぶ子さんの小説があって、原作「マイマイ新子」そのものよりも、こっちの方が『マイマイ新子と千年の魔法』と途中までほぼ同じ展開をたどってます。この小説では、主人子ともう一人の少女二人の気持ちがわずかな食い違い――相手の心の内実、奥の奥にあるものに対しての想像力があと一歩欠けていた、というだけのことから決定的な別れにつながっていくんですね。それは残念だった。
必要なのは、お互いの心の奥底にあるものに対する想像力で、相手の気持ちをいかに汲み取るかということなのかもしれない。相手の心の中にあるものにまでもっと自分の想像力を伸ばしてみようよ、そう思う気持ちが大事なんだろうと思ったんです。
貴伊子は、新子が日々、想像の世界で遊んでいることを理解し難いことと思っています。彼女の想像力には明らかに限界がある。だけど、「新子ちゃんはこういうことも喋っていたし、こんなことも教えてくれたな」「その時に私にもちょっと見えてきたイメージがあったな」と記憶を整理して、新子の気持ちにたどり着いてゆく。彼女が諾子になった瞬間とは、彼女が想像力の翼を、相手の心を慮ることによって、手に入れた瞬間なのだろうな、と思います。

小川:そうですね。映画の演出の上ではそうなっているので、そこは分かります。ただ、これまでお話の流れからすると、新子が諾子と同化していくのが自然かと思うんですが。

片渕:貴伊子が諾子になるまでの間には、新子は自分の想像力によって千年前の諾子と同期していたんだと思うんです。たとえば新子が道端で飛び跳ねていると、その足の振動は千年前の諾子が感じているらしい、とかね。
諾子と新子はシンクロしていたんですが、貴伊子とはシンクロから外れていた。でも、貴伊子が、切実に新子の内実に至るため、切実に諾子の姿を想像しようとした瞬間、新子以上に深く諾子にシンクロする。
ここでは「光抱く友よ」のような別れは二人の間には生まれずに、もっと密接な関係を取り戻すことが出来るのではないかと。これが友達である、という関係が得られるんじゃないか、と。

小川そこは、片渕さんの中では自然な流れなんですね。

片渕:貴伊子自身は全然、人の心を笑わせるほど、心理的ゆとりのある子じゃなかったんですよ。でも、今や、新子の側に立って、新子がいかに自分を和ませてくれていたのか、ということを知った。千年前の世界で自分自身がそちら側の立場に立って体験する。そのことによって、彼女はより新子的なものを身の内に取り込んだ。
そして、心の絆が成立したのであれば、離れ離れになっても心の中では一緒にいるから、最後に千年前で二人で草笛を吹いているという絵があり、エンディングになると明らかに幻想的な風景になるんですが、それを二人のどちらが見ているかは明らかではない、という風に筋立てています。
そういうのが自分的解釈なのかもしれません。また別の解釈があったら、それも聞きたいです。
でも、新子が引っ越して行く先はすぐ隣町の山口なので、実は全く普通に行き来できるんですけどね(笑)。
研究が忙しくて家に帰ってこれないので、みんなで一緒に住もう、ということで移っていくんです。

小川:ああ、実際には、そういうことだったんですね。

片渕:実際にはどうやら、お祖父さんが亡くなる前に引っ越しているらしいんですよ。そういうあたりは「髙樹のぶ子BOOK ロング&ワインディング・ロード」の方に、ノンフィクションとして描かれているんです。こっちには、もっと成長して東京で彼氏を作ってしまい、親にどういう顔をするか、というところに至るまで書かれてます。で、引っ越した先でまた大変な目にあって、また防府の家に戻るらしいんですよ。なので、髙樹さんの記憶の中でも、一時山口に住んでいたことが希薄になっていたのかもしれない。


■ 絆を信じるために、本当らしくある世界を作るということ ■

小川:ロケハンをすると、リアルが想像力を超える、とおっしゃっていましたよね。

片渕:そうですね。昭和30年という世界を描いて、そこに新子と貴伊子の間に生まれる絆を存在させたいわけなんですよ。これを信じるためには、世界が本当らしくあってほしい。

小川:フィクションを組み立てるために、世界を本当らしくしたい、と。それは見る側に対するというより、片渕さんの側の問題ということですか?

片渕:絵本のような画面で、どこともわからないあやふやな空間で「友達っているんだよ」と言って、通じるものはあるかもしれないんだけど、もっと信じたい、ということが空間を緻密に作り上げたい、という気持ちの根本にあるんじゃないかな、と思うんですね。

小川:アニメだと、抽象化を重ねて、その果てに直接伝えたいことを描く、という方向も一方ではありますよね。そちらではない方向に行くのはどういう狙いなんですか?

片渕:ひたすら真実味をもって味わいたかったんだろうな、と思います。

小川:一方で片渕さんのキャラクターって漫画のよさを大事にしたいキャラクターですよね。「BLACK LAGOON」も漫画顔だし。

片渕:絵面は、自分の信じたいことを抽象的に表現しているんだと思うんですね。

小川:絵面は漫画だけど、行動や情景はリアリズムで行きたい?

片渕:大事なのは世界の広がりかな、と思います。我々がたまたま描いたそこまでで断ち切られる世界でなく、その外側にどこまでも広がっていて欲しい――そういう意味合いです。
だからあえて、自己完結しないものが欲しい。現実から取り入れてしまえば自己完結しないですよね。自分達の頭で作り上げると、街の境界線いっぱいまでは作れても、その外は「ない」世界になってしまう。想像力が一つの世界を生み出したときに、生み出した世界の強さ、明確さ、きちんと存在して欲しいこと。こちらの気構えとして、今回はそうでありたいな、と思ったんですね。

小川:片渕さんの場合は、世界を描くことがひとつの目標なんですか?

片渕:その世界の中に存在する「人の心」ですね。それが自分の信じられるものでありたい。そのため世界の強度を上げて、より確からしく感じたいんですね。

小川:その強度を上げるものが、今回たくさんあって、見るからに大変ですよね。どうしてそんなことをやろうとしたんですか?

片渕:以前『アリーテ姫』をやったときに、案外簡単に調べたもので描いたら、フランスの人が見て「ちゃんとフランスっぽい中世の世界があるね」と、フランス中世史を研究するフランス人に言われちゃったんですよ。その時には「そこまで調べ上げたわけでもないのに」と思ったんですが、じゃあもうちょっと調べたら、確固たる昭和30年を描けるかな、確固たる千年前が見えてくるのかな、と思ったんですよ。やる前から確信があったわけではないんだけど、それによって、自分の描くものを信じられる。

小川:それは、片渕さん自身が?

片渕:だと思います。自分が信じられないものを人にお見せするわけにはいかないので。

小川:世界の強度を上げる作業のコストパフォーマンス的にはどうなんだろう、と思うんですが。

片渕:たいへんでもいいんです。おかげで僕は新子と貴伊子が実在してると信じられるようになりました。


『マイマイ新子と千年の魔法』文学フリマに出展!
-EVENT-
■『マイマイ新子と千年の魔法』文学フリマにブース出展!■

文学フリマとは、文学系同人誌の展示即売会です。
第一回の開催は2002年11月。以後、既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表できる「場」を提供し続けてきました。昨年は講談社BOXと共同で行った「東浩紀のゼロアカ道場」(優勝者には講談社BOXから初版1万部のデビューを約束された批評家コンテスト)が口コミで話題になるなど、様々な試みを行い近年注目を集めています。

開催日時:12月6日 11:00~16:00
来場者:2000人見込み
参加サークル数:380(年々増加)
場所:大田区産業プラザPiO 
(京浜急行本線 京急蒲田駅 徒歩 3分、JR京浜東北線 蒲田駅 徒歩13分)

「文学フリマ」公式サイト
http://bunfree.net/


『マイマイ新子と千年の魔法』ブース:V-15、16
作品の映像や関連物ほか、コピー本配布予定


■『マイマイ新子と千年の魔法』イベント開催!■

アニメーション映画『マイマイ新子と千年の魔法』や自作を紐解き、片渕監督が文学作品をいかにアニメとして翻案したのかという、本質について語ります。

『マイマイ新子と千年の魔法』より――監督・片渕須直が語る 文学をアニメ化するということ
開催日時:12月6日 17:00~18:30予定【延長の可能性もありますので、予めご了承ください】
開催場所:大田区産業プラザPiO  A、B会議室
出演者 :片渕須直【『マイマイ新子と千年の魔法』監督】、小川びい【アニメ雑誌ライター】(司会)

※整理券を12時30分より本ブースにて発券します。(なくなり次第終了)
イベント参加希望者は、必ず整理券をお持ちになって、A、B会議室においでください。

また、本イベント終了後、第二部のかたちで同じくマッドハウス制作のTVアニメーション作品「青い文学シリーズ」『人間失格』1話を上映します。
こちらは入れ替え制ではありませんので、上記整理券をお持ちの方のみご覧いただけます。

※イベントにご参加される際、先んじて高樹のぶ子氏の原作「マイマイ新子」、及び「光抱く友よ」をお読みいただいておりますと、さらに別の見方でイベントをお楽しみいただけるかもしれません。


あらすじ
STORY
  


ゆったりとした自然に囲まれた山口県防府市・国衙。
平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。
この物語の主人公は、この町の旧家に住み、毎日を明るく楽しく過ごす小学3年生の少女・新子だ。
おでこにマイマイ(つむじ)を持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の様子に、いつも想いを馳せている。
彼女は“想う力(ちから)”を存分に羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます女の子であり、だからこそ平安時代の小さなお姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の光景のようにいきいきと思い起こすことができるのだ。

そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。
都会とは大きく異なる田舎の生活になかなかなじめない貴伊子だが、好奇心旺盛な新子は興味を抱き、お互いの家を行き来するうち、いつしかふたりは仲良くなっていく。
一緒に遊ぶようになった新子と貴伊子は同級生のシゲルや、タツヨシたちとともに、夢中になってダム池を作る。そして、そこにやってきた赤い金魚に、大好きな先生と同じ「ひづる」と名前をつけ、大切に可愛がるようになる。やがて新子たちは、学校が終わるとこのダム池に集まって過ごすようになっていた。
しかし、ふとしたことから「ひづる」が死んでしまい、それを機に仲間たちとの絆も揺らぎ始めていく。
そんななか、新子は「ひづる」そっくりの金魚を川で見かけたという話を聞き、貴伊子や仲間たちと金魚探しを始めるのだった。

そして、みんなの心が再びひとつになりかけたその時……。
STAFF
原作:髙樹のぶ子
(「マイマイ新子」マガジンハウス・新潮文庫刊)
脚本・監督:片渕 須直
エグゼクティブプロデューサー:丸田 順悟
製作:千葉 龍平/野田 助嗣/丸田 順悟/岩田 幸雄
企画:堀 健一郎/吉田 剛/丸山 正雄
キャラクターデザイン・総作画監督:辻 繁人
演出:香月 邦夫/室井 ふみえ
画面構成・作画監督:浦谷 千恵
メインアニメーター:尾崎 和孝/今村 大樹/川口 博史
美術監督:上原 伸一
色彩設計:橋本 賢
撮影監督:増元 由紀大
音楽:村井 秀清 Minako“mooki”Obata
主題歌:「こどものせかい」コトリンゴ(commmons)
挿入歌:“SING”by Joe Raposo c by JONICO MUSIC INC.
山口弁監修:森川 信夫
後援:山口県 /山口県教育委員会
協力:山口県フィルム・コミッション/防府市
支援:文化庁
アニメーション制作:マッドハウス
「マイマイ新子」製作委員会:エイベックス・エンタテインメント、松竹、マッドハウス、山口放送
配給:松竹
CAST
青木新子:福田麻由子
島津貴伊子:水沢奈子
諾子(なぎこ):森迫永依
青木長子(新子の母):本上まなみ

タツヨシ:江上晶真
シゲル:中崎和也
ミツル:西原信裕
一平:冨沢風斗
光子:松元環季
初枝:世弥きくよ
東助:竹本英史
タミちゃん:諸星すみれ

清原元輔:塚田正昭
ひづる先生:脇田美代(山口放送)
ほか
公開情報
2009年11月21日より全国ロードショー公開中

『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト:http://www.mai-mai.jp/

山口県先行上映、プレミア試写会など、イベントレポート掲載中!
-TOPICS-
■ 山口県限定先行上映では原作者・髙樹のぶ子氏が登壇! ■
映画『マイマイ新子と千年の魔法』山口県限定先行上映実施!舞台挨拶レポート!

■ 初日舞台挨拶では福田麻由子さんと水沢奈子さんの仲の良さがわかる!
いよいよ公開!『マイマイ新子と千年の魔法』初日舞台挨拶に片渕須直監督、福田麻由子さん、水沢奈子さんが登壇!

■ プレミア試写会には鳩山幸首相夫人も駆けつけた! ■
『マイマイ新子と千年の魔法』プレミア試写会開催!スペシャルゲストに鳩山幸首相夫人も駆けつけた舞台挨拶レポート!

■ 新子は「山口ふるさと特別大使」! ■
『マイマイ新子と千年の魔法』の主人公・新子が「山口ふるさと特別大使」に!羽田空港で任命お披露目式開催!

■ 徹底かつ緻密なロケハンに唖然! ■
アニメにおけるロケハンの意味とは? 「ヒットアニメに学ぶロケハン術!」で細田守監督、片渕須直監督が登場

© 2009 髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会
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